デジタル人民元は米ドル覇権への挑戦なのか

島田 理貴

Bitcoinの取引を禁止するなど、暗号資産に否定的な構えをみせていた中国が、今度は凄まじい勢いで人民元のデジタル化を急いでいる。この動向に伴って、国内外でデジタル人民元(DC/EP)をめぐる情報戦が激化している。

「中国らしい」といっていいかはわからないが、ここ数か月のDC/EPをめぐる報道は「噂」レベルのものが多く、さらに、それらを中国政府機関が否定したり、しなかったり、否定したかとおもえば直後にそれを認めたりと、混乱がつづいている。

国内において情報戦に火をつけた報道は、今年8月の米Forbes誌によるものである。内容は、中国人民銀行が、早ければ11月11日には独自の暗号資産を発行することを計画しているというもので、この報道をきっかけに、各種報道が中国の暗号資産をめぐる動向に釘付けになっていった。

だが、そもそも「11月11日」という近々の日付を気に留めなければ、Forbes誌以前に、中国人民銀行支払決済局の穆長春副局長は「すでに5年間かけて、法定デジタル通貨であるDC/EPの研究がなされており、すぐにでも出せる状態にある」と述べている。この報道は朝日新聞デジタルBloombergも取り上げており、なぜ、Forbesの記事ばかりが取り上げられたかは謎である。近々の日付にインパクトがあったということなのだろうか。

異例の声明、情報のリーク元は中国政府?


このように情報が錯綜するなか、各種報道に睨みをきかせる異例の声明が11月13日に発表された。渦中の中国人民銀行みずから、ネット上に流布するDC/EPの発行予定時期はすべて事実ではないという旨の声明を発表したのだ。この報道前の9月24日には、中国人民銀行の易綱総裁も記者会見のなかで「スケジュール表はない」と発言するほか、DC/EPの現状を語っていた。無秩序な情報戦を秩序づけたいという中国人民銀行側の意図がうかがえる。

しかし、いまだリーク合戦がおさまる気配はない。しかも、中国政府側が意図的に情報をリークしている可能性がある。中国共産党機関紙系列の紙、環球時報が発行する英字紙Global Timesは、12月5日に、情報源を「中国人民大学フィンテック研究所の上級研究員」とするDC/EPの具体的な性能数値を報道している。これによれば、DC/EPはピーク時には約22万tpsのトランザクション処理性能を実現するのだという。この数値は、既存の暗号資産のほとんどを上回るどころか、PaypalやVisaといった既存のオンライン決済システムの速度をも超える。

また、中国国内メディアのCaixinは、11月26日に、中国人民銀行の元行長を情報源としつつ、DC/EPが小売決済に重点をおいていると報道した。さらに、12月9日には中国国内メディアCaijingも、「4つの国営銀行が試験運用に参加する」とか「中国の3大通信プロバイダーも参加する」、「試験運用は深センと蘇州で」という趣旨の記事を掲載している。

DC/EPの狙いは何か


各種報道の現状をみる限り、確かなことは何一つ言えない。実際にDC/EPの運用がはじまるのを待つしかないというのが正直なところだ。ただ、中国政府側の発表をとりあえず信用することにすれば、ある程度考察の余地がある。

中国人民銀行の易綱総裁は10月1日の記者会見で、DC/EPの状況について、かなり踏み込んだ発言をしている。日経新聞の報道をまとめると、以下のとおりである。

・目標は「現金の一部を代替する」こと
・発行の枠組みは「中央銀行と商業銀行、2層の運用体系」
・「集中管理を堅持」
・発行時期は未定
・最大のハードルは「国境をまたぐ利用」
・マネーロンダリング/テロ資金/タックスヘイブンなどへの対応に苦心

管見の限り、これらはプロジェクト側が広範にDC/EPについて語った唯一の例だ。その規模といい中央主権的な傾向といい、驚かされる発言である。

DC/EP以外にも様々な米ドル脱却戦略がある


まず、規模感について、「現金の一部」というのがどの程度の割合をいっているのかが重要になる。最近の報道ではDC/EPを米ドル覇権への挑戦とするものが多いが、筆者が推測では、確かに米ドル覇権に対する挑戦という意図はあるだろうが、DC/EPについては、あくまでもそのごく一部を担うに過ぎないのではないだろうか。

というのも、中国はDC/EP以外にも様々な「挑戦」を進めているのである。たとえば、元ブラジル大統領のLuiz Inácio Lula da Silva氏は、インタビューのなかで、ブラジル、ロシア、インド、南アフリカ共和国、中国によるBRICSサミットが、米ドルから独立するために開催されたと語っている。現実に、ロシアの政府系ファンドは米ドルのシェアを削減し、人民元を追加することを検討している。

また、BRICSは2014年に「新開発銀行(BRICS銀行)」と1000億ドル相当の外貨建てによる「緊急対応準備金」を設立しており、やはりこれもドル脱却の動きとみるのが妥当だろう。開設後も、同行は人民元建ての債券を積極的に発行している。

中国が、周辺国や経済新興国の力をバックに、米ドルからの脱却をめざしていることは確実だろう。ただ、この文脈にどういった形でDC/EPが絡んでくるかは未知数だ。一部報道によれば、BRICS諸国で暗号資産を立ち上げる構想もある。決してDC/EPだけが米ドルに対抗するものではない。より冷静に中国の動向をみつめるならば、「DC/EP=米ドル脱却」というのではなく、それが米ドル脱却戦略のなかでどのような役割を果たすのかをかんがえるべきだろう。

国家が発行する暗号資産とは何か


もう一つ気になるのは、「集中管理を堅持」と謳われていることである。元来、ブロックチェーンや暗号資産は「非中央集権」とか「分散」という文脈から発展してきたものだ。近年では、プライベートチェーンやコンソーシアムチェーンといった、比較的分散の度合いが低いながらも、ブロックチェーンの様々な恩恵を受けることができる仕様に注目が集まっており、「非中央集権」というコンセプトへの支持は薄れつつある。そのため、一概に「非中央集権」なブロックチェーンや暗号資産に危機感を表明しても仕方がない。

だが、国家プロジェクトとして中央管理される暗号資産となると、それが統治機構の1つとして機能しかねないという不安がつきまとう。DC/EPが「実名制」を導入しているという一部報道もある。もちろん、日本においても、国内暗号資産取引所で取引をする場合には本人確認が義務づけられているし、暗号資産に限らず現金についても、銀行に預けたいとおもえば、やはり本人確認が必要になる。そのため、実名制であることがすぐさまネガティブな意味での「監視」に繋がるわけではない。

しかし、中国に限っては、ネガティブな意味での「監視」の可能性を否定することが難しい。というのも、現にWeChatや新浪微博(ウェイボー)をつうじた国民の監視が実施されており、世界的に批判が集まるチベット弾圧のために利用されたもある。はっきりいって、中国政府のプライバシーポリシーへの信頼はかなりきわどいレベルである。

Libraとの違い


Facebookが旗を振るLibraにも、プライバシー保護の観点から不安を表明する論者が多い。だが、筆者がかんがえるに、国家と企業(連盟)のちがいは暴力装置の有無にある。Libraが潜在的に20億人近いホルダーをかかえており、その全員のプライバシー保護に不安がつきまとうといえども、Libraの運営元が「国家」的存在に取って代わろうとしない限り、統治の実行力は低い。おそらく運営元にとっては、いかにLibraの経済圏を拡大するかをかんがえるほうが得策だろう。

しかし、国家となるとそう簡単な話ではなくなる。とりわけ近代国家は本質的に暴力装置を備え、これをもって統治をおこなう。普段暴力装置を意識することはあまりないが、国民は無意識で法律の背後に警察権力という暴力装置を透かしみているのだ。これと同様に、国家が発行する「お金」の背後にもかならず暴力装置の影が潜んでいる。

そして、DC/EPという国家が発行する「お金」は、いまだかつてないほどに利便性の高い「お金」である。したがって、DC/EPは、暴力装置の後ろ盾がある領域における国家の統治能力を高めることに直結する。望ましい統治も望ましくない統治も、よりスムーズにおこなうことができるようになる。中国の動向を監視する世界の眼はより厳しくなるだろう。

IMFが2018年に実施した調査によると、世界の63の中央銀行のうち約7割が中央銀行発行の「デジタル通貨」を研究中だ。現在、ベネズエラ、セネガルなどの国をのぞいてほとんどの国が検討中の域をでておらず、中国のDC/EPは最初で最大の、最も特殊なモデルケースとして目が離せない。

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