近年、各国でCBDC(中央銀行発行デジタル通貨)の研究開発が活発になっている。
例えば、国際決済銀行のレポートによると、ウルグアイはいちはやくCBDCの実用化に着手しており、2017年11月にはすでに、ウルグアイ中央銀行が国民1万人を対象とした、法定通貨のペソと同価値のCBDCであるe-Pesoを2000万枚発行、配布するパイロットプログラムを実施している。
また、スウェーデンでは、スウェーデン国立銀行が2017年初頭よりe-Kronaプロジェクトを開始している。スウェーデンにおける2018年以降の現金利用率は13%程度であり、2010年と比較すると23%減っており、今後さらなる現金利用率の低下が予想される。
ウルグアイやスウェーデンは比較的早期にCBDCの実証実験を開始した国であるが、2019年には66の中央銀行のうち80%がCBDCをなんらかの形式で検討、また、約40%が実験や概念実証の段階にある。
日本においても、日本銀行がCBDCの検討に乗り出しており、2016年12月に欧州中央銀行とProject Stellerとよばれるブロックチェーンの共同調査を開始した他、2020年1月にはカナダ銀行、イングランド銀行、欧州中央銀行、スウェーデン国立銀行、スイス国民銀行、国民決済銀行の6行とともに、CBDCの活用可能性を評価することを目的としたグループを設立している。
デジタル人民元はリブラへの対抗策なのか?
そんななか、特に注目を集めているのが中国政府が開発を進めるデジタル人民元だ。中国政府は、各国がFacebookの主導するLibra構想によって右往左往するなかで、ここぞとばかりにデジタル人民元の構想を積極的に公開してきた。
このような動きから、世間ではデジタル人民元をLibraへの対抗策として捉える見方が強いように思われる。しかしながら、中国におけるCBDCの歴史は意外と古く単純にLibraとの対比で語れるものではない。
中国の中央銀行であるPBoC(People’s Bank of China)がCBDC研究チームを組成したのは2014年のことである。その後、2015年には同研究チームによってCBDCに関する報告書が発表され、2016年1月にはPBoCが初めてCBDCの発行を目指す意向を公式に発表した。
この時点では各国のCBDCに関する認識は統一されておらず、また、PBoCがいうCBDCも、Libraのようにブロックチェーンと明確に1対1で結びついたものであったかどうかは微妙なところである。
実際に、公式発表の翌月には、 PBoC総裁のZhou Xiaochuanが「法定通貨としてのデジタル通貨は中央銀行が発行する必要があり、ブロックチェーンはそのオプションの1つ」と発言している。
このようなCBDCに対する認識が、よりブロックチェーンとの関連と結びついていったのは、暗号資産の価格上昇に一因をおくことができるのかもしれない。
2017年から2018年の暗号資産の価格の高騰とともに、、世界中でブロックチェーン技術への関心が高まり、数多くの研究や実証実験が実施された。この傾向は今もなおつづいているが、果たしてこの潮流が価格上昇なしに生じるものであったかどうかは微妙なところである。
同時に日本では、2017年4月に中国で発表された「トークン発行の資金調達リスクの防止に関する発表」や、2019年2月に中国で施行された規制「ブロックチェーン情報サービス管理規則」に関するニュースが印象強く報道された。これらの報道によって、もしかするとあたかも中国が「ブロックチェーン後進国」であるかのように感じた人もいるかもしれない。
しかしながら、実際は真逆であり、ブロックチェーンを取り扱う企業に規制を設けることで、ブロックチェーンに関する研究や、それを用いたサービスを政府の管理下に置き、企業と政府の間に技術開発を促進するフィードバックループを敷いたのだ。
その結果、2019年9月、PBoCの高官が開催する講義にて、DC/EP(Digital Currency Electronic Payment, デジタル人民元)の名称が初出となり、日本を含めた先進諸国が弧につままれる形となった。
デジタル人民元にブロックチェーンは使われない?
とはいうものの、やはりデジタル人民元とブロックチェーンとをイコールで結ぶことは難しい。
2018年9月には、CBDC研究チームの企画部長Peng Fengがダボス会議において「CBDC開発において、ブロックチェーンはオプションの1つにすぎない」と再度念押しの発言をしている。
しかしながら、PBoCが公開しているデジタル人民元の各公開資料をみると、その設計がBitcoinをはじめとする暗号資産に倣ったものであることは明らかだ。詳細は省くが、UTXOを用いたトランザクションモデルの採用や、ライトニングネットワーク(Bitcoinのマイクロペイメント技術)を参考にしたオフライン決済の構想などが代表的な類似点である。
一般に「ブロックチェーン」という用語には文脈によって複数の意味が込められてしまっているため、〇〇がブロックチェーンか否かという議論はいささか不毛であるが、ここでいう「ブロックチェーンではない」という表現は、分散型ではない、という意味で捉えてほしい。
デジタル人民元はPBoCが大元の発行体であり、また、その管理に関しては複数の機関がプライバシーとAMLの要件を考慮しながら厳格におこなう。ごく簡単にその実際の運用方法を説明すると、プライバシーの面では公開鍵暗号を、AMLの面ではビッグデータ解析を取り入れて、PBoCより下位の組織には必要最低限な情報しか共有されないような仕方となっている。
なるほど、この設計内には「分散型」というコンセプトが存在しないのだ。
それが分散的かどうかというような議論は、(Bitcoinのような)分散型の仕組みを構築しようとするプロジェクトが、様々な技術的なハードルからコンセンサスアルゴリズムの設計において多少の妥協を許そうというときによくみられる。だが、デジタル人民元の場合は、そもそも始点におくコンセプトが中央集権的であり、デジタル人民元に対して分散型かどうかという議論はあまり意味をなさないのかもしれない
デジタル人民元はあくまで現金通貨の代替
デジタル人民元の構想において最も興味深いのは、それが適用される「範囲」である。
結論からいうと、中国政府はデジタル人民元を、「現金としての人民元の流通を置き換えるもの」であると強調している。つまり、特定の決済範囲において人民元をデジタル人民元に置き換えようとしているのだ。
CBDCと聞けば、通貨にプログラムを組み込むことで実装される金利調整機能や、マネーロンダリングの色付け、秘密鍵の管理方法などに関する込み入った議論と批判がよく起こる。
しかしながら、PBoCの構想はいずれの問いに関しても明確な答えを持っている。それは、デジタル人民元には人民元の流通を置き換える以外の意図をもたないという答えだ。
デジタル人民元はプログラム可能なものとして設計されるものの、PBoCはそこに金利調整機能のような金融政策に関わるプログラムは記述しないとしているし、プライバシーの観点から個人情報とトランザクション履歴とは明確に分離して管理するよう設計している。また、秘密鍵の管理にしても、ユーザーの手で1つでおこなうような脆弱なセキュリティモデルではない。
そんなことをいえば、「じゃあポイントと変わらないじゃん」というような声が方々から聞こえてきそうである。
果たしてそうだろうか。
中国では、WeChatPayやAlipayといったサードパーティの決済事業者は、決済ネットワークのある部分で必ずUnionPayという政府主導で整備された決済インフラストラクチャに接続されるようになっている。つまり中国における電子決済は、UnionPayによって一元管理されているのだ。
この特徴は中国国内でキャッシュレス決済が急速に普及した理由の一つだろう。また、キャッシュレス決済が当たり前となった中国において、その上に乗ってきたイノベーションやサービスの数は多岐にわたる。デジタル人民元が普及すればその傾向はより強くなるかもしれない。
デジタル人民元が備えた強力な流通速度と中央主権的なマネジメント性は、いち企業がとりくむロイヤリティマーケティングとしてのポイントサービスとは訳が違う。おそらく、デジタル人民元が生みだす利益は金銭的なものだけではないし、また、デジタル人民元が提供するインフラストラクチャは、後続するイノベーションの基礎としても機能することができるだろう。
経済成長や、人口の拡大をいまだ達成しつづける特異な社会体制を敷く中国だからこそなせる業といえばそれまでだが、少子高齢化と人口減少に悩む我が国においてこそ中国に「倣う」べきとこがあるのかもしれない。