【ビットコイン11周年企画】“サトシ ナカモト”への原点回帰-第3回

島田 理貴

全3回の連載形式でお送りしています。ぜひ第2回第3回もご覧ください。

前回の要約:
Satoshiは、既存の金融システムが第三者機関への「信頼」、裏返せば「リスク」に依存していることに強い危機感をいだいていた。しかし、第三者機関なしでもリスクが増加しない新しい金融システムをつくるためには、「二重支払い問題」を解決する必要があった。

これは本質的に、デジタルデータに「お金」の一単位として固有のアイデンティティを与えられるか否かの問題である。Satoshiはこのアイデンティティの問題に、PoWによる暗号学的証明によって答える。ただし、このPoWはSatoshi独自のアイデアではなく、Cypherpunkからの遺産であり、Satoshiの独自性はむしろ、これをP2P分散型モデルによみかえたところにある。

ところで、彼が「分散」にこだわる理由はなにか。それは、中央集権的なプレイヤーの一存によって、組織、取引、システムといったあらゆる諸部分ないし全体に影響を及ぼせてしまうことへの強い危機感にある。この危機感よりSatoshiは通貨の主権を分散的なネットワークが握る通貨システム、すなわちBitcoinの開発に突き動かされていく。Satoshiは寡黙な開発者であったが、我々の生きるいまにとって示唆的な言葉をいくらか遺している。

今回は、これらをかき集めて、現在の暗号資産をとりまく現状と比較し、その意義をさぐる。分散型モデルを追いもとめたSatoshiは、Bitcoin開発のために、”Bitcointalk.org”という開発者フォーラムを作成し、ここにさまざまな「予言」を遺した。これらの資料をつぶさに辿ると、Satoshiのビジョンや問題意識、そしてそれらの客観的な問題点があきらかになる。

第3回:Satoshiの予言

取引所は第三者機関ではないのか

取引所のイメージ
まずはSatoshiが取引所についてどのようにかんがえていたかをとりあげてみたい。だが、その前に、踏まえておきたいのは、取引所には、Satoshiの分散型モデルという理想とは相容れない部分があるということである。

というのも、現状、多くの取引所は、顧客の暗号資産を取引所がもつウォレットに保管し、取引の都度、投資家の個人情報と残高を別個のデータベースに記録することで取引システムを運用している。この運用方法において、顧客は取引所のデータベースやウォレットの管理方法を「信頼」しなければならない。これは、Satoshiが望んだ第三者機関の排除とはまったく別ベクトルの発展であるといえる。

実際、取引所ではその管理方法を一要因とするクラッキング被害があとを絶たない。ただし、その根本的な原因は、Satoshiの手によって構築されたプライバシーモデル(第1回を参照)にあることには注意したい。

クラッカーはなぜ暗号資産を狙うのか

ハッカーのイメージ
まず、暗号資産は違法な取引につかいやすいだとか、盗みやすいというよくある言説は、半分あっていて、半分まちがっている。というのも、たしかにこれだけ流出事件が発生していて、またその流出した資産のほとんどがダークウェブ上で捌かれてしまっている事実を鑑みれば、まったくまちがっているとは誰にも言い難いだろう。

しかし、根本的に暗号資産はトレーサビリティ(追跡可能性)に優れた通貨である。第1回でも述べたとおり、Bitcoinをはじめとする多くの暗号資産は、すべてのトランザクションを公開しなくてはならないため、資産の移動は誰にでも追うことができる。だから、従来的な金融システムに当てはめてかんがえれば、犯罪捜査も容易になるのではないかとおもってしまう。

しかし、第1回のプライバシーモデルに関する議論をいま一度振りかえれば、Bitcoinの新しさは、データと個人情報の分離にあったのではなかったか。取引の過程を完全に追うことができたとしても、その取引に付随しているはずの個人情報は、まったくみえてこないのである。流出した暗号資産を、誰にでもみることができるような掲示板で取引していれば、まだ追跡も容易いが、ダークウェブとなると捜査は困難をきわめる。これがクラッカーたちの狙い目になる1つの根本的な要因である ^1

市場の力への過信

経済のイメージ
話を戻そう。第三者機関にみえなくもない取引所について、Satoshiがどのようなスタンスだったのかを確認したいのであった。じつは、取引所の存在を肯定的に認めているととらええられる一文がある。それはBitcoinの経済モデルにおける持続可能性について議論するスレッドのなかで述べられた。

価格を決定する市場がないなかで、NewLibertyStandardの生産コスト[=マイニングにかかる費用]に基づいた見積もりは、優れた推測になりたっており、有用なサービスである(ありがとう)。

NewLibertyStandardは、当時、マイニングに必要なエネルギーをもとに法定通貨とBitcoinとの交換を個人でおこなっていたユーザーで、実質的に取引所の1つである。これに対して、Satoshiは「有用なサービス」だといい、さらに感謝の意まで述べている。

だが、ここだけを切りとると文脈が改変されてしまう。これに関連する重要な部分がもう1つある。

[Bitcoinは]エネルギーに対して安定するわけではない。これについては議論したが、エネルギーのコストとも関係しない。NLS[NewLibertySrandard]の推定は、エネルギーにもとづいており、開始点の推定としては適切だが、次第に市場の力が支配的になっていくだろう。

彼は、取引所を認めはするが、しかしながら、最終的には市場の原理に基づいて価格が決定されることを望んでいるのだ。これは2019年現在の状況に近似した予測といえなくはない。予言としては悪くない。だが、取引所が分散型モデルを脅かすことについては、あまりに無頓着なかんがえ方だといえよう。じつのところ、彼も第三者機関に対して、ある種の潜在的な信頼をいだいていたのかもしれない。少なくとも、論文内でとことん第三者機関を排除しようとした人による発言としては、いささか不用心ではないだろうか。

経済圏の規模感


いま、ひとつの興味深いテーマが提示されたことに気づいただろうか。少し上の引用部は「Bitcoinの経済モデルにおける持続性について議論するスレッド」のなかにあると述べた。これは暗号資産に興味をもつ人なら誰だって、気になるテーマではないだろうか。とはいえ、残念なことに、このスレッドを読んでみても、Satoshiが持続性について踏み込んだ議論をした跡をみつけることはできない。ただ、Satoshiのかんがえていた「分散型モデル」と「経済圏の規模感」の内実を明確にしめす一文がある。

軽量クライアントはトランザクションを送受信できるが、ブロックを生成することはできない……軽量クライアントはまだ実装されていないが、必要なときに実装する予定である。いまのところは、皆フルノードを実行している。私はおそらく10万ノード以上にはならず、それ以下になると予想している。[それくらいの数になると]ノードにとって参入価値がなくなる程度の均衡に達する。残りは数百万の軽量クライアントである。

ここでフルノードというとき、ほかの投稿における語法をみる限りは、おそらくほぼすべてのフルノードがマイニングを実行していることが想定されていると推測される。そして、Satoshiはそれ以外の軽量クライアント、つまりウォレット機能しかもたないようなノードが数百万いるというのだ。したがって、彼がかんがえているBitcoin経済圏は、たかだか総勢数百万人程度で、しかもそのうちのほとんどがマイニングをしないのである。

世界経済の規模をかんがえれば、きわめてささやかな想定であるし、もちろんマイニングプールのようなプレイヤーの台頭が予想に含まれていたかどうかはともかく、彼のかんがえていた「分散型」が、あくまでも経済圏を維持する重要なプレイヤーの分散を意味していたことがわかる。

これが、誰もがマイニングをする理想状態への諦めによる判断なのか、単に完全な分散モデルをもとめていなかっただけなのかを判断する材料は遺されていない。だが、より高度な分散状態への理想をもっていたのならば、そう簡単に取引所のような存在を肯定的にとらえることは難しいのではないか。

たしかに、Satoshiがいう限られた分散型モデルにおいては、取引所についても、それほど悪い評価をくだす必要はないだろう。取引所が増え、ライトユーザーが自由に様々な取引所を選ぶことさえできれば、一定の分散状態を保つことができる。しかし、Satoshiがもっと大規模かつ真の意味での分散状態をめざしていたのならば、取引所の存在にはきわめて否定的になるはずである。

マイナー分布の偏向

マッピングのイメージ
Satoshiのかんがえた経済圏の規模がどのようなものであったとしても、現状暗号資産が形成する経済圏は凄まじい勢いで規模を拡大させている。その過程で、マイニングというBitcoinに不可欠な営みのある性質を発端に、さまざまな不平等や、それに起因する分裂が生じている。

マイニングは、計算機の処理能力をリソースとするため、地域の気候や電気料金の設定によって、コストが大きく変わり、それゆえに地理的な偏向が生じやすい。この偏向は、マイニング難易度が上昇していくにつれて、より先鋭化していく。放っておけば、経済格差や、51%攻撃^2リスクの上昇、暗号資産の開発における政治的偏向などを招くかもしれない重大な問題である。興味深いことに、Satoshiはこの問題を明確に認識していた。それは、「Bitcoinの鋳造法は熱力学に反する」と題されるスレッドにおける彼の投稿からもあきらかである。

Bitcoinの生成は、もっとも安価となる場所に落ち着くはずだ。おそらくそれは実質的に無料の電熱がある寒冷地になるだろう。

ここまで的確な予測ができていたにもかかわらず、なぜSatoshiは、このことを危機的にはとらえなかったのだろうか。少なくとも、この偏向問題に対する対策が敷かれた形跡はない。推測するならば、先の総勢数百万人という彼が想定する規模感においては、偏向状態が深刻な問題にはならないだろうという試算があったのかもしれない。

環境問題

風力発電のイメージ
また、マイニングは、膨大な電力を浪費するために、環境問題の観点から対策が急がれるている。ある研究の推計によると、相場が下落した2018年11月時点でも、Bitcoinマイニングにおける年間電力消費量は48.2TWh、年間二酸化炭素排出量は23.6~28.8MtCO2であり、これは、モンゴルの排出量よりは少ないが、ヨルダンの排出量より多いというレベルである。また、別の研究の推計では、2019年12月時点の年間電力消費量は73.12TWh、年間二酸化炭素排出量は34.73MtCO2であり、これはデンマークの排出量に匹敵する。1トランザクション当たり、米国の平均的世帯の消費電力にして22.13日分である。地球環境問題は、全人類に関わる問題であるがゆえに、マイニングの電力問題は早急に対処されなくてはならないだろう。

だが、電力問題についても、Satoshiは楽観的である。上述のスレッドにおいて、マイニングにかかる電力やそのコストは無益ではないか、という批判に対し、次のように答えている

それは金やその採掘とおなじ状況だ。金採掘の限界費用は、金の価格付近に留まる傾向がある。金採掘は無駄だが、その無駄は金を交換の媒体として利用できるという有用性よりもはるかに少ない。Bitcoinについても同様のことがいえる。Bitcoinによって可能になった交換の有用性は、使用される電気のコストをはるかに超える。したがって、Bitcoinをもたないことこそが最終的な無駄となる。

なるほど、たしかに通貨がもつ交換価値は往々にして莫大なものとなる。しかし、それだからといって電力を浪費していいということはない。交換価値は人の欲望も含むものであり、その天井ははるか彼方である。だからこそ、我々はどこまでも経済が量的発展できるものだとおもいこんでしまうが、しかし、地球環境というリソースは絶対的に有限なのであり、Bitcoinにいくら交換価値があろうとも、それは節約されなくてはならないだろう。

貨幣理論

貨幣のイメージ
ところで、Satoshiは随分と簡単に「価値」と「Bitcoin=通貨ないし貨幣」という言葉をつかっているようにみえるが、この2つの言葉は案外、いまだにその世界でも完全なコンセンサスはとれていないほどには難しいテーマである。ここでは通貨ないし貨幣と価値の問題を、ひとまず貨幣理論とよんでみよう。

じつは貨幣理論とBitcoinが対決する日は、論文発表からわずかに6日後のことだった。Ray Dillingerは次のようなことをメーリングリストに投稿している。

私はこのシステムの本当の問題はビットコイン市場にあるとおもう。Proof-of-workは内在的な価値を有していない。たしかに限られた供給曲線を作成できる(「通貨[Bitcoin]」は約35%のインフレ率となっているが、これはコンピューターの処理能力がどれだけ高速になるかということでしかない)が、しかし、正の価格で交差する需要曲線はない。また、不換紙幣についてもおなじ(内在的価値の欠如)ことがいえることはわかっているが、不換紙幣に対する人為的な需要は、(とりわけ)課税と法定入札によって生みだされる。また、不換紙幣でさえ、別の不換紙幣のより高いインフレ率に対するインフレヘッジになりうる。だが、Bitcoinの場合、35%のインフレ率はテクノロジーによってしか保証されておらず、課税をサポートするメカニズムや法的入札もない……。

これは、既存の貨幣理論とBitcoinとの最初の邂逅である。2019年現在、様々な暗号資産が生まれているが、近年人気を集めているジャンルの暗号資産に、基軸通貨などに価格を連動させ、安定性を狙うTether(USDT)やGemini Dollar(USDG)などのステーブルコインがある。ステーブルコインは、需要や供給以外の方法で、通貨に価値を付与するのであって、これは、Bitcoinとはまったく異なる種類の暗号資産といえる。そして、これらが生まれた背景には、Bitcoinの高いボラティリティにある。Bitcoinの乱高下する価格は、我々の日常生活にはあまりにそぐわない。だからこそ、価格の安定した暗号資産がもとめられたのである。

もちろん、Ray DillingerのようにBitcoinには納税のような人工的な需要がないから、内在的価値がないというのも、いささかセンシティブかつ短絡的な意見だといえるだろう。貨幣というものは、それが貨幣として流通しさえすれば、貨幣足りうるのである^3。それは、至極簡単な話で、2010年5月22日に、1万BTHとピザ2枚が交換できたのはなぜかということをかんがえるだけで事足りる。誰かがそれに価値を見出し——もちろん貨幣というためには価値尺度、交換・流通手段、価値貯蔵手段という機能を備えなければならないが——一度貨幣として流通しはじめれば、その価値は生々しい人間の欲望によって決められていくのである。 

だが、Ray Dillingerが、より人間の欲望に危機感をおぼえていて、単に内在的価値を安定させる機構の欠如を指摘するだけに留めていたならば、Satoshiも、Bitcoinのしくみをかえていたかもしれない。というのも、Satoshiはこれらの指摘に対して、ちぐはぐな反論しかしていないのだ。

新しいコインが生産されるという事実は、貨幣供給量が計画された量だけ増加することを意味するが、これはかならずしもインフレをもたらすとは限らない。貨幣供給が、それを使用する人々の数が増加するのとおなじ割合で増加した場合、価格は安定したままである。もしそれが需要ほどはやく増加しない場合、デフレが発生し、貨幣の早期保有者は貨幣価値の増加を確認できるだろう。

Satoshiは需要がないという異議には一切答えず、ただ一定して貨幣供給が増加していくことの重要性を説いている。たしかに、Bitcoinに需要がないわけではない。そもそもBitcoinというしくみそのものを面白がった人たちがいたからこそBitcoinが生まれたということをかんがえてみるだけでも、それに需要がないというのはかんがえられない。実際、彼は別の投稿の中で、Bitcoinの需要について述べている。

思考実験として、金とおなじくらい希少な卑金属があり、次のような特性があると想像してほしい。

・つまらない灰色をしている
・電導性に欠ける
・強くもなく、延性もなく、容易な順応性もない
・実用的にも装飾的にもなににも役立たない

そして1つだけマジカルな特性がある。

・通信チャネルを通じて転送することができる

もし、なんらかの理由、なんらかの方法で、なんらかの価値を獲得した場合、富を長距離で移転したい人なら、誰でもいくらかを購入・送信し、受信者にそれを売らせることができる。交換のための潜在的な有用性を予見する人々によって、循環的に最初の価値をえることができる。その人たちがコレクターだっただけかもしれないが、どんなランダムな理由でも、価値付けを引き起こすには十分なのだ。

なるほど、彼はどんな通貨であれ、最初に値がついてしまえば、循環的な流通がはじまるというのだ。直感的にBitcoinの需要がないということがありえないことをみぬいていたのだろう。

だが、やはり安定性に欠けるものであることはたしかだ。SatoshiはRay Dillingerの提案をきき流すべきではなかったようにおもわれる。しかも、Satoshiは供給が一定であることに胸をはるが、よくかんがえれば、需要が爆発的に増加したとき、一定量しか供給できないBitcoinは、どのように需要を吸収すればよいのだろうか。普通の商品であれば、価格も供給量も変化させられるが、Bitcoinの場合は価格しかかえることができない。これでは価格が乱高下するもの致し方ないだろう。

このように、様々なSatoshiの「予言」をみてみると、彼が制度設計者としては案外詰めが甘いことがわかる。もちろん、このような大それたプロジェクトを1人で立ち上げたこと自体、とてつもないことであり、指摘した部分は本当に些末なことである。しかし、このいくつかの「想定外」が、さまざまな要因と絡みあって、我々に新たな「想定外」をもたらすかもしれない。また、これらの問題を知っておくことが、なにか新しいものを生みだすバネとして役だつかもしれない。

おわりに——人間学としてのブロックチェーン

哲学のイメージ
ここまで、Satoshiの思想背景や、暗号資産をとりまく現状、Satoshiの発言を駆け足にみてきた。正体不明の彼が生み落とした情報の生態系は、彼の意図を超えて拡大の一途を辿り、いまや地球環境を大きく左右するほどの怪物と化した。それでも、多くの人々がそこに新たな夢を重ね、金融の世界に留まらないさまざまな領域に、イノベーションがもたらされている。また、Satoshiや初期の開発コミュニティが想定していなかった諸問題を対処すべく尽力する人たちも数多く存在する。

どちらにせよ、この先いかなる展開が待つのか誰にも予測できない群雄割拠の領域である。Satoshiの意をまったく介していないようなサービスや、反対に我らこそはSatoshiのビジョンを引き継ぐ者であると主張して止まないグループもある。さらには議論が、”Satoshi Nakamoto”という名前を神の名とした神学論争の様相を呈することもままある。皆、Satoshiと、あるいはBitcoinといかに折りあいをつけるか悩んでいるらしい。

しかし、残念ながら、我々にはSatoshiがなしたこと、なさなかったこと、なしえたこと、なしえなかったこと、それらすべてを確定することはできない。だからこそ、彼の意志や欲望を一つ一つくみとる必要もないし、彼の夢を自らの夢だと引き受ける必要もまったくない。ブロックの連鎖それ自体が、Satoshiの意志の総体であり、我々はただこの連鎖を続けるか、断ち切るかを選べばいいだけである。さらに興味深いことに、今はBitcoin以外にも様々なチェーンがある。どの連鎖に加わりたいか自分で選べるからこそ、ブロックチェーンは我々の好奇心をくすぐってやまないのではないだろうか。

そしてまた、もっとも重要だとおもわれることが1つある。それは、いかなるブロックチェーンも「技術」という枠組みだけではとらえきれない、人間臭い部分を含むという点である。我々の関心を引いて止まないのはむしろこの部分ではないだろうか。上述したマイナー分布の偏向に関する議論には、経済合理性に依拠した行動モデルが中核に据えられているが、秘密鍵の管理を巡る問題は、とても経済合理性でかんがえられるものではない。人間とは、どれだけ大事かわかっていることでさえいい加減にしてしまう生き物である。人間の行動を数式や言葉であらわそうとしても、なかなかうまくいかないからこそ、どの学問も、技術も、仕事も、決着がつかないのだ。

人間は合理的な存在ではないという前提。これは、ブロックチェーンの基礎を揺るがしてしまうかもしれない。なぜなら、PoWのインセンティブ設計自体が人間の合理的判断にもとづいているからだ。この意味で、Satoshiは人をみる眼が優しすぎたといえるのかもしれない。人は、より長いチェーンにブロックを繋げたほうが儲かるからといって、そうしないこともある。マイニングに成功したノードが、ほかのノードにそのことを伝達しないことだってまったくありえないことではない。近年、プライベートチェーンやコンソーシアムチェーンが着目されるのも、人間による非中央集権的システム運営の信頼性が崩れつつある証左といえるかもしれない。

もし、我々がブロックチェーンにまだ夢を託そうとするならば、技術的な問題にとりくむのも大事だが、よりヒューマニスティックな議論も必要になるはずである。この段階にあって、またもやSatoshiという原点が問題になるかもしれない。本稿では、彼の思想背景にCypherpunkを挙げたが、ブロックチェーンに関連する思想にはほかにも、アナーキズムやリバタリアニズム、新反動主義などがあり、もしかしたらSatoshiもそのどれかに強い影響を受けていたのかもしれない。

だが、別になんだって構わないのだ。見誤ってはならない唯一のことは、自分がいかなる夢をブロックチェーンに託すのか、これである。Satoshiは、自らの夢を決して見誤らなかったからこそ、不完全であったとしても、どうにかBitcoinを生みだすことができたのだろう。是非とも彼の貪欲さを見習いたいところである。

脚注

1:とはいえ、外在的な要因に責を負う部分も多分にある。Satoshiがめざしたのは、自分が自分の責任下で資産をコントロールできる電子通貨であり、本来ならば、取引所という第三者機関に信託するかどうかも、みずからの責任のもとで、主体的に選択されなければならない。だが、このコントロールは秘密鍵の厳格な管理を前提とする。秘密鍵こそ、暗号資産の所有権の生命線である。なるほど、暗号資産を利用する人が、暗号技術をよく理解した一部の人間だけであったならば、秘密鍵の管理も適正になされたかもしれない。しかし、実際に多種多様なプレイヤーが参入してしまうと、なし崩し的にセキュリティは弱まっていかざるをえない。なぜなら、一般的なユーザーは、1つのユーザー名と1つのパスワードによる簡易なセキュリティ手法に慣れてしまっているし、高頻度とまではいわなくとも、デイトレードのような投資手法が一般的におこなわれるような社会においては、ユーザビリティが優先されがちになるからだ。そもそも、Satoshiがいう「分散型」とは、あくまでも「ノード」としてブロックチェーンに接続する端末が不特定多数に分散して存在することであって、個人単位の分散ではない。したがって、Bitcoinにおける所有権の最小単位は、ウォレット機能をもつノードということになる。よって我々が取引所にBitcoinを預けっぱなしにするということは、原理的には取引所に所有権を譲ることにほかならない。だから、少なくともBitcoinに限っていえば、最小単位としてのノードが、ある種の権力を握ることや、それによって様々な弊害が生じてしまうことは、想定の範囲内におくことができたはずである。戻る

2:簡単にいえば、単一ノードにせよ、複数ノードにせよ、全体のハッシュ計算能力のうち51%以上の計算能力があれば、既存のブロックチェーンという台帳に任意のページをつけ足すことができるというPoWの性質を利用した攻撃手法である。Satoshiは、論文内ですでにこの攻撃手法の可能性を指摘していたが、攻撃すること自体が経済合理性に欠けるとして、現実的でないとした。だが、そのほかの暗号資産が台頭した結果、暗号資産の価値と、それに投じられているハッシュ計算能力のバランスが崩れ、同様の手法による攻撃被害がいくつか報告されるようになる。留意すべきなのは、暗号資産の価値が純粋に投機的な行動によって決まるのではなく、その暗号資産の安全性や有用性が明確に反映されていれば、攻撃行為が経済合理性に欠けるものとなり、51%攻撃は起こりえないということである。戻る

3:無論、貨幣理論にもさまざまな論者がおり、とりあえずの決着すらないというのが真実である。ここでは、暗号資産の貨幣理論についても盛んに議論している岩井克人の主張を参考にしている。戻る

目次

第1回:Bitcoin前夜——Satoshi Nakamotoの独特なプライバシーモデル

  • Bitcoinの誕生
  • Cypherpunkとはなにか
  • 独特なプライバシーモデル

第2回:Bitcoinのオリジナリティ

  • 第三者機関と信頼
  • 二重支払い問題——通貨とアイデンティティ
  • なぜ分散型なのか

第3回:Satoshiの予言【←今回】

  • 取引所は第三者機関ではないのか
  • クラッカーはなぜ暗号資産を狙うのか
  • 市場の力への過信
  • 経済圏の規模感
  • マイナー分布の偏向
  • 環境問題
  • 貨幣理論
  • おわりに——人間学としてのブロックチェーン

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