暗号資産をめぐる投機的な話題が尽きないこの頃であるが、他方で、より裾野を広げたブロックチェーンの応用をめぐって多種多様な進展がみられる。金融という領域だけでも、夥しい数のプロジェクトが目下進行中だが、さらに高いところから眺めてみると、眼前に広がるプロジェクトの数に眩暈がするだろう。
思いつく限り列挙すれば、電力、アート、ゲーム、医療、IoT、教育、広告、SNS、保険、行政、投票、EC……。もはやなんでもありの様相である。だが、今回注目したいのは「物流」あるいはもう少し広く「サプライチェーン」や「貿易金融」の世界におけるブロックチェーンの応用である。
物流業界におけるブロックチェーンの活用は、その規模からいって金融に負けずとも劣らない。本稿では、主に海外の事例をピックアップし、迫りくる技術革新の実情を紹介したい。
物流業界でブロックチェーンが注目される背景
日本貿易振興機構(JETRO)が公開するレポートによると、2018年の世界貿易は前年比9.7%増の19兆243憶USDで過去最高額を記録したものの、伸び率は前年の10.7%増にくらべて鈍化している。
鈍化の主な背景は、2018年の世界経済の減速や政治情勢の悪化にあるが、しかし、この鈍化を生産性の向上によってカバーすることは不可能だろうか。
IBMが公開している記事によると、世界貿易のコストは年間1.8兆USDと見積もられているが、そのプロセスを効率化することで、約10%のコストカットが可能であるという。先の数字と勘案すると……どうだろう、おおむねカバーできているのではないだろうか。
しかし、いざ効率化に着手してみると貿易という営みの膨大さに怖気づくことになるだろう。この巨大な生態系は、きわめて複雑なパズルゲームを我々に提示する。
たとえば、サプライチェーン全体でまったく一貫性のないデータ、あるいは公平でない情報共有のシステム、あきれるほどに高くそびえる書類の山、旧態依然とした既得権益の複雑なネットワーク……。
効率化だけが問題ではない。貿易システムの耐障害性はきわめて重要である。2017年6月に、コンテナ船世界最大手のA.P. Moller-Maersk(A.P.モラー・マークス、以下Maersk)は、身代金要求型の不正プログラム(ランサムウェア)の攻撃を受けた。ZDNetによると、この攻撃によって、4000台のサーバ、4万5000台のPC、2500のアプリケーションにおける計10日間の改修作業を余儀なくされた。
その影響は、複雑なネットワークの上を予測不可能な形で伝播する。全体の被害ははかり知れないほどの大きさになるだろう。
標準化や透明性の向上による効率化、そして耐障害性。なるほど、これはブロックチェーンにもってこいの仕事かもしれない。
IBMとMaerskによる「TradeLens」
先にMaerskに触れたつながりで、同社のとりくみをみてみよう。MaerskとIBMは、共同でブロックチェーン基盤の海上物流プラットフォーム「TradeLens」をたちあげている。
海上物流といっても海の上で起きることだけが問題ではない。輸出船籍書類の作成、輸出通関手続き、港湾における荷役作業等々。それはきわめて複雑なエコシステムを形成している。コンテナ輸送だけに限っても、30以上の業者、100以上の人員、200以上の情報交換が必要になる。
複雑な海上物流のエコシステムにおいて、どうしても発生してしまう「無駄」。これを1つ1つしらみつぶしに解消していってもいいが、果たしてそれが可能な「鉄人」は本当に存在するのだろうか。そこで、ブロックチェーンの出番である。この「無駄」を省くことこそがこのプラットフォームの目的だ。
「TradeLens」は、海上物流にかかわるサプライチェーンを、始点から終点まで(すなわちエンドツーエンドで)リアルタイムに可視化する機能をもつ他、越境時に必要になる膨大な書類のデジタル化、自動化を実現する。
なぜブロックチェーンなのか?
そんなことは、わざわざブロックチェーンを活用せずとも、従来の技術でできそうである。なぜ、ブロックチェーンなのか。
それは、第1にブロックチェーンが中立的でオープンだからである。プラットフォームとは、人や企業が参画するからこそプラットフォーム足り得るのであって、それが自社の利益に直接関係するような性質であればあるほど、より中立でオープンな機会提供が必要になる。
「TradeLens」では、オープンソースで開発される「Hyperledger Fabric(ハイパーレッジャー・ファブリック)」をベースとしたコンソーシアムチェーンが基盤として採用されている。したがって、プラットフォームへの参画自体はIBMとMaerskの側に決定権があるものの、それ以外の決定においては、IBMもMearskも中立的、あるいは単に参画者然とした立場しかとれないのである。1度の握手で、云億云兆というとてつもない規模のお金が動く世界で、この中立的なシステムというコンセプトはきわめて重要だろう。
第2に、ブロックチェーンは耐障害性と耐改ざん性に優れている。上述したように、Mearskは不正アクセスによる甚大な被害を受けた張本人であり、また、業界全体がこの被害に関する知らせに戦慄した。そのため、物流業界において、不正アクセスにどう対抗していくかはきわめて重要な問題となっている。
この問題に対し、ブロックチェーンという分散的かつ自律的なシステムには、単一の障害点(アナログな例えをするなら、ネジが一本欠けているとか)が存在せず、システム全体を脅かすほどの攻撃(51%攻撃など)もきわめて困難である。
さらに耐改ざん性は、書類をつうじた取引が多い物流業界の目には、やはり魅力的にうつるはずだ。単に事務作業を自動化したいならば、書類をデジタル化して、それを適当なAPIに投げてしまえば済むことだが、このプロセスにおいて、攻撃者は容易に書類の改ざんをやってのけてしまうだろう。
しかし、ブロックチェーンであればそうはいかない。無数のノード(「TradeLens」の場合は、参画企業が管理するノード)が、純粋にアルゴリズムと暗号学的手法にしたがって、そのデジタル化された書類を改ざん不可能なものにしてくれる。ゆえに、ブロックチェーンを基盤としたプラットフォーム上においては、書類を安全にデジタル化し、諸々の契約作業も自動化できるのである。
このような背景をして推進されている「TradeLens」であるが、IBMとMearskの提携からわずか2年で、すでに100以上の組織が参画し、60以上の港湾に統合されている。その他にもさまざまなプラットフォームが、物流業界で蠢いてはいるものの、参画企業の規模や、普及スピードでいえば、頭1つ抜きんでているといえるだろう。
中国における貿易金融プラットフォームの躍進ぶり
他方、世界のトップトレーダーである中国(JETROのレポートによると、中国の2018年の貿易総額は4兆6230億USDで世界一)では、凄まじい勢いでブロックチェーンの社会実装が推進されている。
Ledger Insightによると、すでに中国国内ではブロックチェーン基盤の貿易金融プラットフォームが多数存在しており、そのうちの1つ、中国人民銀行が主導するプラットフォームは、試験運用開始からわずか1年程度で約700憶元(98億USD)の取引を決済処理している。また、Xinhuanetによれば、中国建設銀行が運用するプラットフォーム「BCTrade」では1年強で3600億元(504億USD)の取引が処理された。
また、currency.comは、昨年11月に、香港金融管理局(HKMA)と中国人民銀行の子会社が提携して、両者それぞれで管理しているブロックチェーン基盤の貿易金融プラットフォームをリンクさせる実証実験を開始する予定であると報じていた。
それらがいかなるソリューションを提供しているのかは不明瞭だが、Xiuhuanetによると、
「BCTrade」は、信用状や、銀行が輸出債権を買取銀行の買戻請求権なしで買い取るフォーフェイティング、国際ファクタリング、リファクタリングなどを展開しているようである。
これらは、基本的には貿易のボリュームに寄与するものであり、直接的に物流やサプライチェーンに影響するものではない。しかし、物流や貿易にかかわるファイナンス面での遅延が改善されることは、間接的に物流スピードの改善に帰結するだろう。
中国EC大手JD.com(京東商城)が物流コンソーシアムチェーンを開発
中国で貿易金融プラットフォームが興隆するなか、中国EC市場シェア2位のJD.com(以下JD)は、よりダイレクトに物流へのブロックチェーン導入を推進している。昨年5月には、同社がブロックチェーンに関連する200件超もの特許を申請したという報道が業界を驚かせた。
だが、それだけではない。JDは、自社開発の「JD Chain」とよばれるブロックチェーンフレームワークをオープンソース化し、ブロックチェーンプロダクトの開発知識をもたない企業へ提供している。これによって企業は、APIを介して独自のソリューションを容易に開発できるようになる。
また、無数の企業にブロックチェーンソリューションを提供する傍らで、JDみずからにとって最大の課題となっている物流プロセスにおいても、ブロックチェーン導入に前のめりである。
JDは、約700万の店舗、10億人のユーザーを擁し、BtoC向けEC市場のシェアにおいては、Alibaba(アリババ・阿里巴巴集団)の「Tmall(天猫)」とJDが運営する「JD.com(京東)」の2者で中国国内全体の80%以上を占める。
700万の店舗と10億人のユーザーとのあいだで商品を届けることが、いかに途方もないことかは想像に難くない。そこでJDは、昨年4月より、ブロックチェーンとIoTの融合を推進するスタートアップ・MCX Foundationと提携して、低電力広域ネットワーク(LPWAN)とブロックチェーンを活用した商品管理・追跡の実証実験を開始しようとしている。
このような細やかな実験にとどまらない。JDは先の「JD Chain」上にトレーサビリティソリューションの「Zhiyi」を構築している。昨年11月の時点で、6万SKU(最小管理単位)を追跡し、そのトランザクションは13億件にのぼる。さらに、昨年12月の会見では、配送業者などが参加するコンソーシアムチェーンの開発が進行中であることもあきらかにされた。
おわりに
IBM、Mearsk、JD、中国人民銀行、中国建設銀行……。世界中の「巨人」たちが、巨額をかけて、物流の効率化にとりくんでいる。エンドユーザーである我々からすると、不可解におもえなくもない。しかし、それもこれも、物流がいかに巨大なエコシステムを形成しており、また、いかに非効率がその成長を阻害しているかをあらわす証左になろう。
今回、あえて触れなかったが、国内では、2016年10月に物流総合効率化法の改正法が施行され、「ドライバー不足」や「働き方改革」、「Amazon」といったキーワードとも呼応しつつ、ここ数年、「物流」への関心は高まりつつある。
ブロックチェーンの応用にも積極的で、NTTデータが、他社と協業して、ブロックチェーンを活用した貿易金融や貿易情報管理のプロジェクトを推進しており、すでに実証実験の詳細な報告が発表されている。NTTデータのとりくみも大規模だ。報告の配布資料を読むと、港湾という場所に形成された複雑なエコシステムのなかで、効率化に苦心する担当者の苦労が垣間みえる。
実際、本当に難しいことなのだろう。物流における技術革新はコンテナの導入以来のことで、IoTやAI、ブロックチェーンというわけのわからないテクノロジー群に急かされている現状は、ある意味で不憫だとも思える。なにより、それらのテクノロジーが技術革新というほどのポテンシャルを秘めているかどうかもまだ定かではない。導入してみても、パーセンテージにしたら、あまりに地味な結果に終わってしまうのかもしれない。
筆者には、それらの技術を研究し、導入するのにいったいどれほどのお金や期間が必要で、どれほどのリターンがあるのか想像もつかない。きっと、それで我々の生活が激変することもない。しかし、物流は我々にとって自明な生活の基礎であり、物流なくして、我々の生活はない。だからこそ、よりよい生活を望むのならば物流業界の動向に気をかけておくことも大切なのではないだろうか。