サトシ・ナカモト論文におけるインセンティブ設計:マーケティングとの違い

安廣 哲秀

先日、仕事の関係上、改めてBitcoin(ビットコイン)のホワイトペーパー、すなわち、サトシナカモトの論文に目を通していた。初めてみたときからもう二年以上たっているだろうか、そんなことを思いながら、あることに気づいてしまった。“インセンティブ”という言葉についてだ。

どうやら、最近よく使われているインセンティブというワードは、意図してか意図せずしてか、サトシナカモトが論文内で言及しているそれと、大きく意味が異なるようなのだ。

マーケティングとしてのインセンティブ!?


暗号資産やトークンを用いたサービスの宣伝として、「~するだけで〇〇トークンがもらえる」といった内容のうたい文句をよく見かける。トークンの付与それ自体を批判するわけではないのだが、これを安易に“インセンティブ設計”と言うのはどうも違和感がある。

他の業界に目を向ければわかりやすい。例えば、近頃は電子マネー商戦が盛んであり、「利用者に〇〇円分還元」という宣伝があちこちに見られる。実際、私も還元獲得を目的に毎月違う電子マネーを利用しているのだが、この還元キャンペーンについては、インセンティブ設計という言葉が当てはまらない。いや、広義には当てはまるかもしれないが、“マーケティング”という言葉の方がしっくりくる。

それもそのはずで、還元キャンペーンに関しては、多くのユーザーが、外発的動機付けを利用したマーケティング戦略であると認識しているからだ。つまり、サービスの利用開始時は単なる報酬目的であったとしても、その後サービス自体に利便性を感じ使い続けてもらう、という企業側の戦略が明白なのである。

では、トークンの付与は“マーケティング”ではないのだろうか。用途のないトークンが付与されることはユーザーの誘引につながるのか。そもそも、そのマーケティングの先にどんなサービスがあるのだろうか。

サトシ・ナカモト論文における「インセンティブ」とは?


サトシナカモトの論文には、第6章にインセンティブに関する記述がある。タイトルは文字通り、「Incentive」だ。そこで言及されている内容は、「フルノードを立てて正当にマイニングを行う」ためのインセンティブについてである。

これには主に二つの意味が含まれる。一つは、フルノードを立て、電気代というコストを払ってマイニングを行うインセンティブ、であり、もう一つは、不正なマイニングを行わせないためのインセンティブ、だ。

この設計が大変よくできていたため、ビットコインの台頭とともにインセンティブ設計という言葉がバズったのは紛れもない事実である。

特に奇抜だったのは後者の、ネガティブな外発的動機付けである。マイナーが供託などし、大量のハッシュレートを確保することで、チェーンを巻き戻すなどの不正を行ったとしても、そのような不正が起こりうるビットコインそのものの価格が暴落してしまう。そのため、経済合理性の観点から、マイナーは不正なマイニングを行わない、という仕組みがそれである。

さて、専門的な話はさておき、重要なのは、ここで言うインセンティブは、どちらも“マイナー”のためのインセンティブであり、ビットコインの保有を促す、ユーザーのためのインセンティブではないという点である。

一般的なサービスで例えると、ある企業が提供するサービスの利用者向けのインセンティブではなく、そのサービスを作っている従業員向けのインセンティブ、すなわち、給料と言っても差し支えないだろう。

つまり、サトシナカモトは、ビットコインというサービスを成立させるためにうまく給料制度を設計したのであって、ビットコインの普及、すなわち、マーケティングについては言及していないのだ。

早くも結論が出てしまったが、ではいったいどのような経緯で、インセンティブ設計という言葉の使われ方が変わっていったのだろうか。

インセンティブ設計からトークン設計、そしてまた、インセンティブ設計へ


カギとなるのはユーティリティトークンである。まずはイーサリアムを見てみよう。イーサリアムはマイニングアルゴリズムにPoWを採用しており、基本的にマイナーに対するインセンティブ設計はビットコインと同様である。

異なる点は、イーサリアムがビットコインのように通貨として振る舞うのではく、イーサリアム上に構築されたアプリケーションの利用料として用いられる点である。

それ故に、ETHはユーティリティトークンと呼ばれるのであるが、ある意味これはよくできていて、そのアプリケーションを使いたいと思う人がいればいるほど、ETHの需要は増え、結果として、ETHの価格が上がる仕組みになっている。

しかしながら、需給に価格が左右されるのはビットコインも同様であり、異なるのはトークンとしての性質のみであると言うことができる。まとめると、サービスを成立させるためのインセンティブ設計は等しいが、トークンがどのように利用されるかというトークン設計は異なっており、また、価格はサービスの需給に委ねられている、と言える。

注目すべき契機は、その後に出現した数多のユーティリティトークンだ。インセンティブ設計とトークン設計を混同し、「報酬(インセンティブ)のあるトークン設計」や「トークンを付与するインセンティブ設計」を行うプロジェクトが多発したのだ。

これにはサトシナカモトも驚きだろう。そのようなプロジェクトすべてを批判するつもりはないが、当初の意味合いと全く異なっているのは紛れもない事実だ。

さらに、これらのユーティリティトークンもまた、市場に価格が委ねられるわけであるが、結果として、それがサービスの需給ではなく、トークンの人気度や希少価値に依存してしまった。その末路は皆さんご存じだろう。何よりたちが悪いのが、当初の意味とは全く違ったものになってしまったものの、部分的なロジックとしては間違っていない点だ。

所謂、冒頭の“還元キャンペーン”である。キャンペーンを行うのは大歓迎であるが、そのキャンペーン自体がサービスというのはいかがなものか。

まぁでも確かに、そうなるとインセンティブというワードが連発されるのも納得はいくか。

最後に


サトシナカモトの魅力的な“インセンティブ設計”は、バズるとともに拡大解釈され、さらには間違った部分だけが切り取られ再利用されてしまっている。そう考えると、多数のICOに代表される暗号資産の悪利用がもたらした影響は、金銭的な被害に止まらず、結構根深かったりするのかもしれない。

消費者からトークンの価値判断能力が奪われたどころか、多くの事業者がその間違いに気づいてすらいない。このような現状が、このブロックチェーンや暗号資産サービスのアダプションを妨げている部分も多々、あるのだろう。

海外ではすでに多くの企業がPoCの段階を経て、実利用へと動き出している。そろそろ国内でも、ベンチャー企業のみならず、政府や大企業、さらには消費者が、認識を改めなければいけない時期だろう。

※最終更新日:2020/1/27/16:51

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